本当に頭の良い人間とは

頭の良し悪しを、偏差値で表すことはできません。

テストの点数、内申点、IQ、学校のブランドでさえ頭の良し悪しの基準にはなりません。学歴や肩書、地位、お金の有無、これらは全部、頭の良し悪しを表すものではないのです。

以下の問いに、あなたなら何と答えますか?

問い

「あなた」あるいは「あなたの子ども」は、なぜ勉強する必要があるのか。

 簡潔に即答しなさい。

いいですか、即答しなきゃだめですよ!
即答した内容が普段から思っていることですからね。
さて、どんな答えが出てきたでしょうか。

・名門私立中学に合格するため
・進学校に合格するため
・有名大学に進学するため
・いい大学を出ていい会社に就職するため

こう答える人は結構多いと思いますが、間違いです。エゴイズムの塊ですね。勉強が他人を蹴落とし自分が勝ち組に入るための手段となっています。肩書ばかり見て人を見ることができない非常に残念な人です。高学歴でも頭の悪い人が多いです。

・成績を上げるため
・テストで良い点をとるため

こう答える人は、普段ほとんど勉強していないですね。頭も使っていません。論外です。

・勉強がおもしろいから
・夢を叶えたいから

かなり良い答えです。既に成績が良いか、これから伸びてくる人の答えです。

・幸せになるため

素晴らしいです!
勉強することは生きることそのものと捉えていることが伝わってきます。

ではそろそろ正解を発表します。

なぜ勉強をする必要があるのかとういう問いに対する正しい答えは「立派な人間になるため」です。

こう答えた方、おめでとうございます!私はあなたのことを尊敬します。ちなみにここでいう立派な人間とは、学歴や肩書、地位などではなくて、本当に頭の良い人間のことをいいます。

本当に頭の良い人間とは、「他人に気遣いのできる人」です。

利己的になりがちな己の心を見事にコントロールし、利他を考え、気を遣い、周りを明るく幸せな気持ちにさせることができ、そうすることで自分も満足できる人こそ本当に頭の良い人なのです。

これが本当に頭の良い人であり、立派な人間と呼ぶに相応しい人なのです。あなたの周りにそんな人がいるかどうか探してみましょう。そんな人はいないと思うなら、あなたが立派な人間になればいいのです。歴史や古典に登場する偉人から学ぶことはあなたが成長する上でとても役に立ちます。また、歴史も古典も読書も苦手という人は、勇気や感動をもらって思わず涙してしまうような映画を観るといいでしょう。最近の映画ならおススメは、劇場版『TOKYO MER~走る緊急救命室~』、少し前の作品なら、劇場版『鬼滅の刃~無限列車編~』です。利他と利己が非常にはっきりとしたコントラストで描かれており、「自分は本当はこんな人間になりたいんだ!」という魂から溢れ出してくる感動を得られると思います。

では、立派な人間とはどんな人かについて深く掘り下げていきましょう。

立派な人間とは人間性に優れた人のことをいいます。人間性とは理性のことであり、理性なくして人間とはいいません。理性は精神・意識・霊魂からなっていて、精神・意識は古典から学びます。魂を磨くには美しいものに触れることが必要です。本能や欲望を理性でコントロールできるのが立派な人間というものであり、それができない者は動物と同じです。本能欲望がアクセルなら理性はブレーキです。立派な人間がどのくらいいるかで国や社会、企業などの共同体の発展繁栄が決定づけられます。動物的な人ばかりでは繁栄などありえないのです。

また、「なぜ勉強をする必要があるのか」という問いに答えるためには、「なぜ生まれてきたのか」という根源について考える必要があります。生まれてきた理由は「学びたいから」です。人は皆、自分から学んで成長し幸せになることを望んで生まれてきたのです。だから、真剣に学んで自分の適性や使命を見つけ出し、他人を幸せにするために仕事をすることが、本当にやりたいことなのです。人生の目的とは「幸せになること」なのです。人生の目的を見失わずに勉強することで、よりよい人生を歩むことができるのです。

では、立派な人間になるために、幸せになるためには何を学べば良いのでしょうか。

第一に「本学」、第二に「末学」です。

「本学」とは人間性を磨くための学びのことです。「仁」「義」「礼」「智」「信」を学び実践することで人間性が高まります。具体的にいうと、

「仁」とは一言でいえば「思いやり」のことです。慈愛、惻隠の心、困っている人を見て気の毒に思う心です。

「義」とは一言でいえば「筋道が通っていて、人としてのあり方が美しいこと」です。義愛、羞悪の心、自分の不全を恥じて他人の悪を憎む心です。

「礼」とは一言でいえば「秩序を保ち平和を実現するための礼儀」のことです。辞譲、譲り合う心、礼儀作法の基本、合理性に通じます。

「智」とは一言でいえば「人間として正しいことと間違っていることを判断する能力」のことです。知識・知恵のことではなく、是非の心のことです。

「仁」「義」「礼」「智」のことを「四徳」といいます。

四徳は人間である限り誰もが身につけるべきものであり教育の基本です。四徳のうちの何かが欠けてしまうとどうなるでしょうか。

「仁」が欠けると思いやりのない人間になります。誰かがいじめられているのを見て気の毒に思うどころか、逆にいじめる側に加勢してさらにひどいことをする非人道的な存在になるでしょう。

「義」が欠けると心の醜い人間になります。自分の間違いを指摘されると逆切れしたり、自分の利益だけを考えて不正を行ったり他人を騙したりするようになるでしょう。また、誰かが困っていても見て見ぬ振りをする勇気のない人間になります。

「礼」が欠けると秩序を乱す人間になります。非礼・無礼は争いごとのきっかけです。戦争も非礼・無礼から始まり秩序を破壊します。礼の欠けた人間は譲り合うことができず、大切なものを奪ったり壊したりしてしまいます。

「智」が欠けると善悪の判断を軽んじて犯罪者になる可能性があります。規律を無視し「これくらいはいいだろう」という自己中心的な人間になります。

ニュースを見ていると、事件や事故の原因となった人には四徳のいずれかが欠けていることに気づくことでしょう。超がつくほどの高学歴エリートが犯罪者となっている残念なケースも珍しくありません。どんなに勉強ができても、それは「末学」に過ぎません。どんなに偏差値の高い大学を出て、大企業への就職や高級官僚になったとしても、それ自体は大したことはありません。四徳教育を受け、実践しない限りは「本末転倒」なのです。

本末転倒した状態で、日本という国を発展繁栄させることはできますか。

自分のことで精一杯で国のことまで考えられないというのであれば、もっと身近なところに視点を移してみましょう。例えば、あなたの所属している学校や会社などの共同体を考えてみてください。

もし直属上司が「仁」に欠ける人なら、部下の手柄は自分の手柄、自分の手柄も自分の手柄、というタイプなのであなたはまるで奴隷のような気持になってしまうでしょう。

「義」に欠ける人なら、業績を上げるためなら手段を選ばずで、部下であるあなたを巻き込んで顧客を騙してお金をむしり取ろうとするかもしれません。会社のお金を横領するかもしれません。不正が明るみに出ると部下のあなたの責任にして、自分には責任がないといって逃げ切ろうとするかもしれません。上司が卑怯者だと大変不幸な職場です。

「礼」に欠ける人なら、上にはペコペコして下には威張り散らすような人で、人を肩書でしか見られないので、やりがいを感じられないでしょう。

「智」に欠ける人なら、そもそも善悪の判断がズレてる自己中な上司なので、あなたに対してパワハラやセクハラをしてくる可能性が非常に高いです。

自分の上司が四徳に欠ける人だったら職場は地獄ですね。学校や部活でも同じです。

逆に自分が上司で部下に四徳に欠ける人がいる場合、あなたはとても苦労します。つまり、四徳教育を学び実践していない人がいると、立場に関係なくみんなが困るのです。

この四徳教育を行う場は家庭です。家庭は「本学」の場です。四徳教育は座学だけでは身につきません。お子さんは家事ができますか。掃除、洗濯、炊事など、一通りできるようになっていますか。子どもは勉強だけやっていれば良いという考えは捨ててください。勉強は、中学受験、高校受験、大学受験のためにするものではないのです。

「本学」を学校に求めてはいけません。学校は「末学」の場であり、家庭で「本学」を修め、人間としての基礎が出来上がっている者が学校に集い、先生から知識を教わるのです。そして家族以外の他人と協力して共同体を運営してくことを学んでいく場なのです。我が子が人の道から逸脱した存在にならぬように家庭でしっかりと「本学」を行ってください。

「仁」「義」「礼」「智」の四徳を尽くした結果、相手の側に生まれるものが「信」です。すなわち、仁義礼智(四徳)を尽くさなければ相手から信頼されることはないのです。

最後に「塾」とはどんな存在なのか。

「塾」は「地域教育」のひとつです。地域教育とは、子どもは社会の宝であるという価値観の基で、地域から立派な人間を輩出していこうという取り組みを行うことです。

「家庭教育」と「学校教育」で不足している部分を補強することが、「塾」として「地域教育」への参画であるといえます。

合格実績や成績アップをアピールするのも大切なことですが、それだけではサービス業という立ち位置からの発信であり、教育支援業としての実力は未知数のままです。「塾」の真の実力とは、巣立った子どもたちが、世の中の発展繁栄に貢献している立派な人間となり、幸せな人生を歩んでいるかどうかでようやく測れるものだと思います。しかしそれではあまりにもスパンが長いため塾を選ぶのがとても難しくなってしまいますね。塾を選ぶ際には以下のどちらが自分に合っているのかを考えると良いでしょう。

1、授業中心で講師が生徒に与える方針
2、生徒に合わせた指導で思考を深堀する方針

1の場合は授業でどんどん与えられるので生徒にとっては楽です。でも「これだけ覚えておけば大丈夫!」という授業で果たして生徒の思考力を伸ばすことができるのだろうかという疑問が湧いてきます。結局講師からは本人の努力次第と言われることが多く、成績が変わらないパターンが多いです。生徒にとっては受け身的なスタイルなので、元々自分から進んで勉強する生徒でなければ効果がありません。

2の場合では思考力は間違いなく伸びます。思考を深堀するためには簡単に与えてはいけません。調べたり試したりしながら核心へと迫り、自分でできるように導いていくため時間がかかります。しかし、生徒にとっては能動的なスタイルなので、心と行動が変化すれば結果は当然変わるので、長い目で見たときには大きな成果を得ることが期待できます。

参考にしてみてください。

立派な人間の話に戻りますが、現在のように幸福度ランキングが低く、30年間経済成長せず、税金と物価ばかり上がり続け実質の所得が減少し、閉塞感が漂う日本という国は、家庭教育・学校教育・地域教育のほとんどのところで「立派な人間をたくさん育てる」ことに失敗した結果であるといえるのではないでしょうか。また、この30年間国家の要職に従事する者は、自らが本学を修め実践し次世代に継承することに務めてきたのかどうかという点で猛省すべきではないかと思います。

Paletteコーチングスクールは、「なぜ勉強する必要があるのか」という答えが「立派な人間になるため」であり「幸せな人生を生きていくため」であって、決して受験のためではないという価値観の啓蒙と、幸せで立派な人間を育てる教育支援に努めて参ります。

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